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2011年01月30日

再び「母の席に座ってください」

知識人・読書人の月刊誌と言われている『致知』は、
創刊以来32年間、書店での販売はない契約購読を貫いていますが、
僕が「父の授業」で教材に使ったエピソードを、ここに再録します。

僕は以下の話を、クラスの子供たちに、ちょっとづつ音読させてから、
少しばかりの解説をしたのです。


「その人の今だけを見て、その人のすべてを判断するな」と。


 人間のなんたるかが、パーフェクトに語られています。
 僕が、この人生で大切にしているエピソードです。
 ぜひ、何度も何度も、お読みいただきたいと想います。


【ここから】


その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
記入するようになっていた。

ある日、少年の一年生からの記録が目に留まった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
 勉強もよくでき、将来が楽しみ」

とある。

・・・間違いだ。

他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」

後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」

とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
 子供に暴力をふるう」


・・・・先生の胸に激しい痛みが走った。


ダメと決めつけていた子が突然、

深い悲しみを生き抜いている生身の人間として

自分の前に立ち現れてきたのだ。


放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
 あなたも勉強していかない?分からないところは
 教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を
熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな
喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。


クリスマスの午後だった。

少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。

亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。


「ああ、お母さんの匂い!
 今日はすてきなクリスマスだ」


六年生では先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、
 今まで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。
またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。
 僕は五年生まで先生に担任してもらって、
 とても幸せでした。
 おかげで奨学金をもらって医学部に進学する
 ことができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた
経験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった
 先生を、 神様のように感じます。

 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
 五年生の時に担任してくださった先生です」

そして一年。

届いたカードは結婚式の招待状だった。


  「母の席に座ってください」


と一行、書き添えられていた。


【ここまで】


この先生は、
この生徒によって、
本当の先生になったのだと想います。


松尾公輝


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Posted by しるばーうるふ at 20:46Comments(0)こころ

2011年01月30日

父の授業

今日は少々異色です。

 父親が、いじめにあっている息子を救うために、
 小学校に乗り込み、クラスで1時間の授業をしたという話題。

 実は、僕、松尾公輝自身の1年前の話。前代未聞の父の授業。
 
 そしてそれ以来、いじめは完全に無くなりました。

 僕はマーケッターですから、その強みを生かし、
 必死懸命に「いじめ撲滅の戦略」をプランニングしたのです。


カミングアウトすると、今はもう無くなったのですが、2009年
の夏から冬にかけて、うちの長男、当時小学校5年生が、いじめに
遭ってました。

僕としても、会社を創業して数ヶ月のときの出来事です。

とても心を痛めました。
彼も僕も。

最近のいじめというのは首謀者がいないのです。
みんなで平均的にいじめるので、いじめてる方に罪の意識は
薄いんですね。

いじめてるという自覚もなかったりするわけですよ。

とはいえ首謀者というか、目立っていじめる4、5人がいるのです
けど、彼らにしても、なかなか「現場」を押さえられないことが、
先生方の難しいところです。

現場を押さえれば先生も怒るのだけど、現場を押さえられないと
口裏を合わせられちゃって、なかなか実体化できないというのが
あるわけです。

僕は学校に何回も行って、校長先生とか教頭先生とか担任の先生
とか生活指導の先生とかと色々話して。

最後の結論は、校長先生の方から僕の提案に折れてもらいました。

「僕に1コマ授業をさせろ」


まずもって、校長先生はじめ、先生方の勇気に感謝したいと想います。
まぁ。前代未聞でしょうから。

でも、やっぱり先生方も大変なんですよね。
担任の先生なんか、軽いノイローゼになったりなんかして。

要するに、担任の先生の言うことを聞かないわけですよ、クラスの
子供たちがは学級崩壊に近い状況になっていたようです。

だったら僕にしゃべらせろという話で、何回かやりとりがありまして、
とうとう校長先生も折れてくださいました。

父親に1時間授業を任せるという。

しかも、社会見学でも何でもなく、
いじめ問題を解決するための授業です。


 僕の戦略は以下の通り。


まずもって1時間のうち、僕がしゃべるのは3分の1で、
残り3分の1、3分の1を、二人の知人に依頼したのです。

一人目は、僕の友だちであるJR病院の先生。

彼は僕のことをその教室で「尊敬する兄貴だ」と言ってくれました。
さらに、小学生の時「自分はいじめっ子」だったとも。

そして、自分には、その子をいじめているという自覚も意識も
無かったのに、周囲から注意され「不思議だった」という話しも。

これは、加害被害の境界線は曖昧であるというエピソードですね。
これで、単に、いじめは悪いという一方的な授業とは一線を画する
ことができました。

彼は社会的地位の高い総合病院に勤務するお医者さんです。
だから子どもたちの見る目が違いますよね。
その人はドクターなんだということで。

しかも彼は手品もやります。
手品もやってもらって、いじめられている子(僕の息子)の
お父さん(僕)のことを「尊敬してる兄貴」と持ち上げます。

その後、教壇に立ったのは、僕の空手の先生。

身長190センチ、体重100キロ前後、年齢も45歳と若い!
しかも全日本選手権で7回も優勝しているわけです(^_^;)。
日本一強い!

さらに、子どもたちの憧れと尊敬の眼差しを集める「人格」。

でも、見た目、お坊さんのように髪剃ってるし、体つきが黒人のよう、
トップアスリートみたいな体してて、日本人離れしている。

そんな彼が「いじめは卑怯だ」と言い、
さらに僕のことを「自慢の弟子だ」って言ったのです。

「○○君(僕の長男)のお父さんは、武道を学び鍛錬して、
 その精神で社会貢献をしようと一生懸命やってる男なんだ」

という話をしてくれたわけですよ。

 その二人の話しの後に、
 僕が登場するわけです。
 どう考えても、これは訊くしかないですよね。

やっぱり、授業が始まる前の子どもたちにしてみれば
「親が文句を言いに来た」というスタンスでした。

ところが、「どうやら病院の先生とか武道の先生からも
信頼されている人みたいだぞ。」という形で出てくるのです。

これはマーケティングの世界でいうと「お客様の声」ということに
なりますでしょう(笑)。

自分で自分を褒めると嘘っぽいのですが、人に褒めていただくと
信憑性があります。お客様に「この商品とかこのサービスは
素晴らしい」と言ってもらった方が100倍伝わりますよね。

さて、

いよいよ僕が登場して何の話をしたかというと、

「今日はみんなを怒りに来たけど、
 こうして顔を見ると、みんな可愛いね。
 君たちを、かけがえなく想っている親御さんがいるんだね」

という前段を話してから、最高の物語を配布し、
それを一人ひとりにちょっとづつ読んでもらいました。

そして最後に、僕が考案した「体験学習」を実施。

その内容とは、

●5人の生徒を選抜してみんなに椅子を持ってもらいます。
●6人目の生徒に対して、椅子を一人ひとり手渡すよう指示します。
●渡し終えた子に対して「君は今、椅子を渡したから軽いよね」 
●じゃあ、次の人、椅子を重ねなさいと。
●椅子を重ねられた子に対して「君が今、椅子2個持ってるから
 重く感じるよね。」
●渡した子に対して「君は椅子、手放したから軽く感じるよね。」

それを5人に繰り返して重ねてもらったのです。

結果、椅子を5つも重ねられた子は重い。

ところが、椅子を手放した方は軽いわけですよ。

「みんな、椅子1個くらいは、どうってことないって想うよね?
 ところがそれが積み重なるとやられた方はとても重いんだよ。

 だから、みんな1つひとつは大した事ないと思ってやってる事が、
 やられた方にしてみれば、それは積み重なる、蓄積するんだ。

 しかも四六時中の話でしょう。
 これが、いじめの正体だよ。」

やられた方の立場、やる方の立場、両方考えてやりなさいよという
話をしたのです。


これが「前代未聞の父の授業」のあらましです。

ポイントは、

★父親が直接「いじめは止めて欲しい」と訴えたこと。
★社会から一目置かれる立場の人たちが客観的話をしたこと。
★言葉の他に、体験的授業を通じて、伝えたこと。


そして何よりも「大人の本気」を見せたことです。
いじめが続くようなら、覚悟がある!と。


僕は企画マンです。

自分の強みを生かして、人生に寄りそいます。


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Posted by しるばーうるふ at 19:34Comments(0)こころ